今、なぜ二宮金次郎さんなのか
道徳のない経済は犯罪
日光市は二宮尊徳さんの終焉の地。学校でも二宮金次郎像があります。しかし、その実体は余り知られていない。
今と似た動乱に生きた二宮尊徳さん、その清貧の思想は今こそ必要だと思います。
以前二宮尊徳さんを奉った、報徳今市振興会館を受託していましたので、尊徳さんの事勉強した事があります。
飢饉で喘ぐ人々を救済し、財政をたておなした尊徳さん。
その尊徳さんのサミットが日光市で開催となり、参加してきました。
その中で「道徳のない経済は犯罪」との講演者の言葉が、本当にそうだ、現政権が正にそうだ!
第23回全国報徳サミット日光市大会
二宮尊徳の絆でつながる市町村が、尊徳終焉の地である日光市に一堂に集い、報徳仕法を「ひとづくり・まちづくり」に生かすためのサミットを開催。
レセプション
11月10日ホテル三日月さんでレセプションが行われました。
教育建設水道常任委員会副委員長をしているため、招待されて行って来ました。
市内のホテルには行くことがなく、ホテル三日月さんの豪華さに圧倒されました。
スパもあり、日帰りもOK。行きたいー
いやいや、そうではありません!仕事で来ています!
議員として、関係市町村の方々と懇談しました💦
遠くは北海道の豊頃町からおみえになってました。
龍王太鼓のおもてなしがありました。初めて見ました。賑やかしくて良かったです。こういう時に地域の伝統芸能に触れる機会があり、日光市の素晴らしさ実感します。
同時に地元ではお祭りが一切なく、伝統芸能に関わる機会がなく育った我が子。地域の子どもたちに伝統芸能を体験出来る機会を作りたいと思ってます。
○オープニングセレモニー(9時15分~)
川俣民俗芸能保存会による、三番叟(さんばそう)・恵比寿大黒舞
○基調講演(9時50分~)
演題…二宮尊徳の思想と仕法の要点
講師…大藤修(おおとうおさむ)氏(東北大学名誉教授)
○報徳学習発表会(10時50分~)
轟小学校4年生および生涯学習団体「日光尊徳きらり」による報徳学習の事例発表
○パネルディスカッション(11時20分~)
参加自治体の市長などによるパネルディスカッション
※その他、今市高等学校生徒・市内団体などによる展示・販売、茶席の接待なども実施します。
小田原生まれ、転落人生
二宮金次郎は天明七年(1787年)小田原市栢山に生まれ、1856年に栃木県今市でなくなりました。二宮金次郎というとたいていの小学校の校庭に銅像がありましたので、殆どの日本人なら知っていると思いますが、生涯にどのようなことをし、どのような教えをしたかを知る人は少ないと思います。
金次郎は天明7年(1787年)に小田原市の裕福な農家に生まれ安政3年(1856年)に70歳で亡くなりました。生まれた頃は裕福でしたが、川の氾濫で田畑を失い、お父さんは金次郎が14歳で、お母さんは16歳の時になくなりました。
そこで叔父さんに預けられるのですが、ある夜 明かりをともして本を読んでいると叔父さんに怒られたのでした。「お前は誰のおかげで飯を食っているのだ。油がもったいない。」というのです。
叱られても本を読む
金次郎は今度は空き地に菜種を植え、出来た菜種と油を交換して本を読むのですが、また叱られるのです。お前の時間は俺の時間だ。お百姓に学問はいらないというのです。それから始まったのが、左の写真にあるように、槙を背負い歩きながら本を読む姿なのです。
財政再建
やがて金次郎は叔父さんの家から独立し、実家の再興に取り掛かりました。そして勤勉と倹約に努め、24歳で以前のような裕福な家に再興しました。それを知った小田原藩士服部家に財政の建て直しを頼まれ、これも成功する事が出来ました。それが広まり今度は小田原藩の分家にあたる桜町領(栃木県二宮町)の再興を頼まれたりして、生涯に615の村々を立て直したといわれています。
金次郎は桜町領を再興するときに、武士の位を授けられ二宮尊徳となりました。このことは身分差別の象徴だと言う方もあると聞きましたが、二宮金次郎がそういう時代に生きていたということで、生涯にどういう業績を残したとか、どのようなものの見方考え方をしたかという事とは違うと思います。むしろどのようなことを人々に説いたかということが大事ではないかと思います。
分度水譲
分土
・まず 勤労、分度(倹)、推譲を人々に勧めました。
勤労とは 徳に報いるために働く、
分度とは 収入の範囲内で支出を定めること
推譲とは 勤労、分度をしてたまった物を将来のために 残したり、人に及ぼしたりする事。
積小為大
・また「積小為大」 「五常講」を人々に説きました。
積小為大とは 小をつんで大と為すということです。
五常講とは お金の貸し借りの旋回の過程で、「仁」の こころをもってそれぞれの分度を守り、多 少余裕のある人から困っている人にお金を 推譲し借りた方は、「義」の心をもって正 しく返済し、 [礼」の心を持って恩に報い るために冥加金を差し出すなど心を配って 人に接し、「智」の心をもって借りた金を 運転し、「信」の心を持って約束を守る、 すなわち「仁義礼智信」の「人倫五常の 道」を守ろうというのである。
尊徳思想はどこへ
日光市に今年4月にオープンした日光市歴史民俗資料館・二宮尊徳記念館・市民活動支援センター。その建物になる前は、市民活動支援センターの建物と、二宮尊徳翁の資料館を兼ねる報徳今市振興会館の2つにわかれてました。
以前の市民活動支援センターは法務局をリニューアルしたもの。報徳今市振興会館は今市報徳役所遺跡跡を尊徳翁没後100年の記念事業として、民家を移築して開館したもの。
報徳今市振興会館は素敵な古民家でした。
壊された報徳今市振興会館
東日本大震災でもほとんど被害を受けなかった報徳今市振興会館。歴史的価値のある木造建築が、今回の複合施設建設で取り壊されました。
同敷地内にある日光市市民活動支援センターも。落ち着いた雰囲気で市民の憩いの場であるこの空間が、冷たい建物に変わる事など想像できません…なぜ?いったい誰のため?
市議に出ようと思ったきっかけのひとつの出来事でした。市民活動支援センターの設置を、衆議院議員の福田昭夫さんが市長の時に要望し、現市長が整備して出来、センターの運営を2年間しました。
報徳今市振興会館も受託して、市民団体にも貸し出し、多くの人に利用して貰えるようにと、1日200円で誰でも使えるようにしました。
尊徳さんは質素倹約に努めた人です。その思いにこたえるようにと思っての事です。豪華な建物になる事を尊徳さんはどう思ってるのでしょうか?
かまどもありました。テレビの収録も行われるほど価値があり、かまどをテレビ局の人が使えるように直してくれてたんです。
壊したものは元に戻りません。
今回の報徳サミットで改めて、日光市市政も分度水譲忘れてはいけないと思いました。