母の介護が始まった
お花見の日に1本の電話
8日後援会のお花見が出来て嬉しいときに
「救急隊です。お母様から救急要請があって病院に運びます。
いつ病院に来れますか?」
晴天の霹靂。。。
「16時には行けます」
自分の後援会のお花見で、片付けもお任せし急ぎ実家の結城へ。
本当に後援会役員の方々には色々助けて頂きました。
介護保険認定外
日光から実家へ1時間30分。飛ばし病院へ。
痛くて身動きも取れない母。83才の高齢。
2日前に重いものを持ってから痛くて動けなかったと。
重病でなくて取り敢えずホッとしました。
「ごめんね。迷惑かけて」と入院を謝る母。
3年前ほどから物盗られ妄想も出ており、一人暮らしの限界を感じて来ました。
3ヶ月前私の知らない間に、民生委員さんのお世話で介護保険申請もされましたが、対象でないと母から聞いてました。
以前ケアマネージャーとして働いた経験と、要支援1、2が介護保険から外され、母は要支援があったら該当でも今回の改正で対象外と思って申請してませんでした。
やはりの結果。介護保険改正の影響を自分の親が受けて、愕然。
今まで民生委員さんが好い人で随分助けられて来ました。
この日も緊急通報装置を鳴らし民生委員さんが駆けつけ、救急車呼んでくれました。
直ぐに退院を!
入院翌日医師から骨折はない、母の強い意向で入院になったので、高齢者は長く入院してると良いことはなにもない、月曜日にも退院を。。。
これが高齢者介護の現実?
身動き取れなくなった、一人暮らしの母。
退院をってどこへ?明日から各地の選挙応援が入ってる
母が繰り返し関係ない同じ話をしてくる
耳も遠い。話してると絶望的な気持ちになる
お花見の準備、今までの疲れも押し寄せ
私が倒れそう
一人っ子の私に頼れる兄妹もない
今まで高齢者の方の介護の仕事してきました。
入院が厳しい事も介護の大変さも肌身で感じて来ました。
が家族が感じる厳しいさは想像以上。
自宅に引き取る事も考え母に話すと断固拒否
母は頑固者(似てると言ってる声が聞こえます(・・;))
その上現状認識が出来ずに、益々意固地に。
それ以来、自宅、結城市、選挙応援地への遠距離活動に。
合間に介護保険申請。ケアマネを依頼。
ケアマネの方の心からの「大変ですね」に涙が出そう。
ケアマネさんは母の介護が必要になったらお願いしようと
決めてた所がありました。
結城市は窓口親切で本当に有りがたかった。
緊急通報設置、ヤクルト配布の中止への連携も図ってくれました。
市の窓口の重要性家族としてわかりました。
日光市はどうなんでしょうか?
議員として気になりました。
入院中に骨折?
週明け病棟医師になり、母が痛みを訴え、MRIの結果胸椎の骨折が判明。入院時は骨折なかった。動いた事で圧迫骨折と。
どういう事でしょう?骨折ないからと動かされたから?
問題を感じながら、置いて欲しいとの気持ちで黙ってました。
家族とは弱いものだと痛感。
なのでリハビリも望めないので24日の週に退院をと。
。。。現実は厳しい。
もう一人暮らしは出来ないのか。
母に「骨折で車椅子。もう一人暮らし無理だね。一緒に住まない?」
「一緒に住まない」「治るから家に帰る」「ここにいると周りの人が煩くて嫌だ」などわがままばかり
。。。ここへいると頭がおかしくなりそう。
母の所を直ぐに出ていった。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。。
訪問調査員に疑問
今までケアマネージャーとして訪問調査に同席した事がありました。が母に来た調査員の態度に違和感だらけ。
訪問調査同席と言われてましたが、調査の時にいつ同席なのか説明もない。
母への説明もない。事務的にやってる感じ。
家族の私の話をほとんど聞かず、認知症の症状言っても、今はないですよ、医師ではないのでその判断はしませんと。
骨折しているのに色々な動作を確認。安静度を確認してない。
これも問題です。
出来る部分ばかり拾っている。
起立が出来ないと調理が出来ない。
そういう項目はない。
調理が出来ないと食事提供のサービスが欠かせない。
訪問調査の有り様と在宅への制度設計のミスマッチ
病院より調査員の事聞くといつも充分聞かないと。
これはこの方の問題か、訪問調査自体変わったのか。
訪問調査で介護度が変わる大事な問題。
ケアマネージャーとして要介護3相当と判断
が2だと使えるサービス量が少なく、在宅はより難しくなる。
いやいやあの調査では1かも。。。
このような簡易な調査では軽く出る。
その一方で在宅を推進している。
在宅支えるための、充分なサービス受けられないととても最期まで、在宅で過ごせない。
これでは在宅推進は、家族の介護ありきではないか?
介護の社会化を目的に始まった介護保険制度の理念は、どこへ行ったのだろうか?
21日本人交えたケア会議
訪問調査後直ぐにケアマネさん2人と病院のソーシャルワーカーさん、私、母との会議。
23年前から介護に仕事として関わって来ました。
本人交えた会議。介護保険のない、本人の意向どころか、家族の意向も顧みられない所から介護を見てきて、家族として参加し、改めて介護保険の素晴らしさ実感しました。
母も自分の気持ちを言ってました。。。遠慮なくいつものように(^_^;)
在宅無理は当然
この状態で自宅は厳しいと判断されるケアマネさん。
ごもっともです。
がリハビリも対象でない、附属の老健も空いてない。
ましてや介護保険認定外で特別養護老人ホームの入所申請もしていない。
ケアマネの経験、議員として福祉の有り様見てきた立場から、もう自宅しかないのではと考えてました。
国もこぞって在宅推進。
しかし、介護保険の認定がまだ。介護保険サービス量だけでは在宅生活支えるのは厳しいのも見えています。
介護保険外のNPOが運営するサービスないか聞くと、結城市はないとケアマネさん。
家政婦さんの3分の1位の値段で家事・介護をしてくれます。
病院の送迎もしてくれます。
介護保険始まる前、平成7年に設立されたものです。
私はそこでケアマネをしていました。
地域格差
結城市では1時間3000円位の有料の家事サービスはあると。
在宅の厳しさを見ました。
しかし、今や入所でもお金がかかります。
その件は私のニュースにかきました。
それを地で行くとは。。。何かの罰?
いや現実的にケアマネさんと話さないと。
私から自分の経歴から実験的に自宅介護をしたいと告げました。経歴言わないと、ただの現実知らない娘の戯言になってしまうので。
それだけ認知症があり、車椅子で一人暮らしは無謀。
後で民生委員さんからも「在宅は無理ですよ」と。
母の在宅生活と看取りまでしたい。それが政府の進める在宅への現実への道でもあります。
母を通して在宅の臨海点高め、サービスの充実図ろう。
何より母が在宅強く望んでいる。
で大事なのは、何かあったときの責任。
ケアマネさんに何があっても責任は問いませんと言いました。
もう83歳。本人も死にたいって。施設に入って私に入れられたと文句言われ続けるなら、危険でも好きな自宅で過ごさせてあげよう。
ケアマネさんから母にいくつかの質問があり、しっかりしている。これなら在宅可能かもと。
がケアマネさんから「わかりました。でももう少し病院でリハビリを」と。ソーシャルワーカーさんがGW開けまで入院出来るように医師に聞いてくださると。
本人の意向を最大限組んだ会議は終了となりました!
朗報?
母は5月2日リハビリ病棟へ転院になりました。
。。。つづく