日光市議 阿部かずこ  みつばち通信

市民活動から議員へ。皆様に様々な情報をお届けします。みつばちが花から花へ飛んでいき、受粉し花を咲かせるように、情報が届きそこで花咲くようなことが起こるといいなと思ってます。

こどもの貧困

 

6月17日(月)子どもの貧困をなくす、子どもSUNSUNプロジェクトの宇都宮版発足式がありました。

 

とちぎボランティアネットワークさんが呼びかけて始まったもののようです。宇都宮の子どもの貧困は、 市民1人 1042 円の寄付でなくなります。 子どもの貧困撃退のために昨年から 1 年間議論していたそうで、今年はどうやるか、初の[SUNSUN プロジェクト総会]と「発足式」の運びとなったものです。

発足式のあとに、湯浅誠さんの講演会と「囲む会 = ミーティング」が行われました。私はここから参加しました。

 

講師に湯浅誠法政大学教授


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社会活動家/法政大学教授。1969年東京都生まれ。東京大学法学部卒。1995年よりホームレス支援、生活困窮者支援に携わる。2009年から足掛け3年 間内閣府参与・内閣官房社会的包摂推進室長、震災ボランティア連携室長など。日本社会を前に進めるために民主主義の成熟が重要と痛感する。現在、NHK第一ラジオ「マイあさラジオ」、文化放送大竹まことゴールデンラジオ」、朝日新聞パブリックエディター、日本弁護士連合会市民会議委員。 著書『「なんとかする」子どもの貧困』(角川新書)、『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日文庫)、『反貧困』(岩波新書)、『貧困についてとことん考 えてみた』(茂木健一郎と共著、NHK出版)など多数。

 

湯浅さんの講演会参加は2度目です。

 

貧困に関心寄せる企業

 

日本では貧困というと海外の事だと思ってしまう。

企業自体でも支援がはじまっている。吉本興業では沖縄のお笑い芸人の専門学校の一階に子ども食堂を開設。

ファミリーマート、イオン、丸亀製麺モスバーガーなども
食品だけではなく立ち上げノウハウや、消毒剤の提供など
側面からの支援も始まっている。

 


こぼれにくい地域を作るのは地域の予防力

 

黄色信号は地域で対応、赤信号になったら行政対応。
例えば、大人も香典が用意でなくて葬式に行けず、関係が疎遠になり、やがて途切れる。それで孤独死となると問題になる。孤独死という赤信号にまでなって問題だとわかる。

 

日常で集まらなくなりボッチが多くなっている

 

誰が何をやるのか。赤信号にまでなっていると専門的で自分達で関われない。黄信号の状態の人なら関われるが、黄色信号の人がどこにいるのか。

黄色信号なら地域の賑わいのなかでこどもを受け止められる。溢れにくい地域を作ることが出来る。

修学旅行に行けない子がいる。行けなくて何が問題かと思ってしまう。俺も行ってないとなる人もいる。

修学旅行は事前学習がある。その時も参加出来ない。帰った後の想い出話に盛り上がる。それぞれに参加出来ない。行けない悔しさから、そんな事楽しいかと憎れ口を叩く。そこからボッチといういじめが始まる。 

こういうふうに貧困の問題は、お金がない事から、つながりがなくなくなり、自信を失う。

 

体験の貧困

 
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包丁を見たことが無い子、鍋をつついたことが無い子、誕生ケーキを食べたことの無い子もいる。体験は大切だ。

みんなで鍋をつついたら「こんな光景はテレビの中の事じゃないの?本当にあるんだ」そう言った子もいる。自分の家庭は相対化出来ない。
鍋を一緒に食べることが支援になる。

あるキャンプで包丁をみたことがないこどもがいた。「包丁ってなに?」包丁を知らない事は、学力にもつながる。体験がないので書かれた事がわからない事に繋がっていく。

学習支援だけが学習支援じゃない。体験を積むことも大事。体験を積ませてくれる支援もある。参加のハードルをさげる事が大事。

 

湯浅さんの体験

 

私には障害を持つ兄がいて、大学生のボランティアが来ていた。彼らは料理も作った。父は料理など一切、作らなかったので男性が料理を作るんだー!と、とても衝撃的だった。

こんな風に大学生にとっては当たり前かも知れない普通のことでも、私にとっては学びとなった。

兄を連れて一緒に野球に行った。兄は参加出来ない。参加出来ない人に見られていると楽しめない。そこで兄が参加できるようにルールを作ったら楽しめた。

人との関わりで選択肢が増える。

自分に何が出来るか?と考える人が多いけれどただそばにいるだけで互いの持つものを受け取り合える。

いるだけ支援、つまり係わることでいい。

 

家庭的養護から社会的養護、そして地域的養護。

 
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関わる人を増やす、その和を広げて行くことで、いずれ政府がやらねばならなくなる。

貧困家庭への支援へのあり方が、家庭の子育てか、社会的養護の0か100になっている。
大田区こども食堂「だんだん」に来てる母親がここに来るとホッと出来る 。普段の料理に1品増やせる。黄信号が赤信号になるのを防いでいる。

 

批判的な人も味方に

 

親の責任だとか、支援と甘やかしを一緒にして避難される方がいる。その方には「おっしゃる通り!甘やかしちゃダメ。叱ってやってください。」

自分も大変な中で育ったという人には「おっしゃる通り!だから貴方の姿勢を見せてください。」

相手を敵にせず味方にしていく湯浅さんは凄いなー。

 

クラウドファインデング

 

全国のこども食堂を安心・安全な場所にとこども食堂の保険加入をすすめたい!とクラウドファインデング100万円に挑戦中。現在652人 9642408円 が集まってるそうです。

 

自分に出来ることを考え話し合う

 

自分の出来ることを3つ考えた後に、ワークショップでみんなで知恵を出し合った。私の参加グループは実際にこどもたちの赤信号に向き合っている団体の方の参加が多く、これ以上何をしろというの?という雰囲気でした。

 

自立援助ホームの代表者、チャイルドラインの代表者、ウイメンズハウスとちぎの代表者などそうそうたるメンバー。それぞれの団体をちょっと説明します。

 

自立援助ホーム
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 家庭に居場所のない子どもたちが共同生活を送りながら自立を目指す自立援助ホーム「星の家」(宇都宮市清住1丁目)と、運営する認定NPO法人「青少年の自立を支える会」は活動は20年を超える。巣立った子たちは延べ約140人。同会はその後、里親と子どもが家族のように暮らすファミリーホーム、子どもの居場所なども開設し、県内の社会的養護をけん引してきた。子どもを通じて家庭を見続けてきたホーム長で同会理事長の星俊彦(ほしとしひこ)さんは今、「『崩壊家庭』が増えている」と貧困の連鎖で機能低下した家庭の増加を気に掛けている。

 

チャイルドライン

 チャイルドラインとは、いじめや児童虐待等の影響を受ける児童・青少年に対する電話カウンセリングを行う慈善活動。「子どもが主体の、子どもの最善の利益を実現するために、電話による心の居場所をつくり、受けとめた声を基に子どもが生きやすい社会をつくる。」

 

ウイメンズハウスとちぎ
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平成8年に民間のDV被害者保護施設としてスタート。
◎女性の人権を守るという視点に立って活動
◎傷ついた女性と子どもに安全な場所を提供
◎女性と子どもが力を取り戻していくための継続的な支援

もう15年前になりますが、ここのスタッフしていました。

こども食堂への期待

 

話し合う中で印象に残ったのが、自立援助ホームの星さんの言葉です。「こども食堂の果たす役割が、自分の所に来るこどもたちにどのような影響を与えるのか興味がある。自分のしている活動も纏めて人に伝えるようにしたい」

湯浅さんの言葉は貧困に無関心な人をも引き寄せる、力があります。星さんは20年以上頑張って来た人です。ウイメンズハウススタッフの時に星さんの事を知りました。困難な状況にある若者への支援を訴え続けた人ですが、仲間が増えない現状に嘆いておられました。

それが別な角度のこども食堂の存在に、戸惑いと期待が見えたのかも知れません。

 

こどもの権利条約フォーラム

 

各グループの発表になり、具体的な事が出ないままのわがグループは、こどもたちにとって大事な会議がある、その告知をしようとなり発表しました。

 

国連の『子どもの権利条約』を日本が批准してから今年で24年です。フォーラムは、子どもの権利条約の普及や、意見交換・出会い・交流の場として全国各地で開催し、今年で26回目となります。

2018年は11月3,4日の2日間の日程で足利において行われ、子どもを取り巻く現状や課題について報告や意見交換を行います。是非いらしてください!

 

素晴らしい実践

 

他のグループでひときわ素晴らしい人がいました。宇都宮で自宅を解放し、地域のこどもたちは勿論色々な人が来ると。「こども食堂なんて立派なものじゃないのよ。ただ家に皆来るの。食べた後はこどもたちは好きにしてる。行政の人がこどもの居場所とかで登録してくださいって言うからしてるけど、もう辞めようかと。最近はどこの子かわからないし、親御さんの顔もわからなくて」

こういうのが一番自然で良いのではないでしょうか。

 

私の体験

 
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私は大変な家庭で育ちました。母は毎日残業で、幼い私は毎日隣の家に帰って行ってました。「塾」と母に言われて。隣の家のおば様はお子さんがなく、私を我が子のように可愛がってくれました。行くとケーキを出してくれる間に、九九を言わされましたが、おば様はテレビに出てくる素敵なママそのものでした。

このおば様がいなければ、私は湯浅さんの言う体験を失ったままどんなに悲惨な運命になったことか。

おば様の家はまさにこども食堂のよう。もう50年前の事です(恐ろしく前だわ)おば様のお陰で、苦労知らずに映るように育ちました。何しろ500坪はある広大なお庭にピアノがある洋館、綺麗なおば様。「塾」と母は言ってましたが、大変な家庭で育つ私を知っていて受け入れてくれ、小学1年生から行くことが出来ました。

私が楽しそうに通う姿に、地域のこどもたちが増えて、本当の塾に。私のおば様が皆のものになり寂しかった事を覚えています。

 

地元にみんなの居場所を

 

私に出来ること、みんなの居場所を地元に作りたいです。おば様のような人がちょうど力を貸してくれると言ってくれています。

市の職員の方の依頼で、「だいじょうぶ」さんの立ち上げ支援をしてから、13年。日光市では赤信号のこどもたちの支援は「だいじょうぶ」さんが果たしてくれています。

黄色信号のこどもたちを支える予防力を地域で高めたい。

やっぱり自分で物事を進めるのが性にあってる私です。